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愛があるから面倒で、
愛があるから温かくて。

69歳大型新人デビュー作!

「お義母さん、うちの子に食べ物を与えないでください」
「孫にごはんを食べさせて何が悪いんだい」

専業主婦として家庭を支えてきた料理上手な姑。
日々の食事は簡素でよしとするフードスタイリストの嫁。
ひとつ屋根の下でふたつの食卓がぶつかって、やっかいな出来事が次々と巻き起こる。

「やっかいな食卓」
9月30日発売!

全国の書店またはこちらでご購入いただけます

本文より

第一章

 ブルーのゼリーがガラスの器の中でプルルンと揺れる。
「皆さん、これを見てどう思います? ワッ、美味しそう! とは思わないですよね?」
 緑川ユキは、ゆっくりと生徒達を見回し、悠然と微笑んだ。
「青いバラなら神秘的ですが、食べ物は青いと美味しそうに見えないんです。可哀そうでしょ。でも、ちょっと手を加えてみると……」
 冷蔵庫から、乳白色のガラスの器に盛り付けた同じゼリーを取り出す。縁がヒラヒラと波打った温かい印象の器だ。百合子先生の代理でオフィス主催の「テーブル・コーディネート入門」の講義をしている。今日の生徒は六人、皆、生活に余裕のある奥様達だ。
「ね、器を替えるだけでも、印象がまるで違ってくるでしょう。さらにこうすると」
 ゼリーの周りに細かく切ったキウイとオレンジを散らし、エスプーマで泡状にしたホワイトチョコのクリームをフワッとのせる。地味なゼリーが活き活きと華やぎ出す。それを水色のリネンのランチョンマットの上に置き、サクラの花びらをちょっと散らす。ウワァと生徒達の歓声が上がる。
「さらに、もう一捻りしてみましょう」
 ワイングラスを出して、最初のゼリーをグシャグシャと崩して入れる。生徒達がざわめく。狙い通りだ。落ち着き払って、崩したゼリーの上にイチゴ、ブルーベリー、クランベリーを散らし、レモンのシャーベットをそっとのせる。ミントの葉を刺して、こちらは粉砂糖を振り掛けた濃紺色のお皿に置く。ガラリと雰囲気が変わって大人のドルチェの出来上がりだ。
「工夫一つで、テーブルは煌き出し料理は格上のものに変身します。センスもアイディアも勉強も必要ですが、やりがいはあります」
 拍手が沸き起こる。
「質問があったら、遠慮なく聞いてくださいね」
 エレガントに見える角度ですっと立って、生徒達の熱い眼差しを受け止める。姿勢のよさには自信がある。セールの時に大奮発して買ったセリーヌのパンツがよく似合っているはずだ。彼女達には田中百合子門下の一番弟子、かっこいい実力者に見えていることだろう。
 いつかフードスタイリスト・緑川ユキの名前を不動のものにする。まだまだ道は遠いけれど、コツコツ積み上げてようやくここまではきた。
 
 でも、現実はこれよねぇ。
 ユキはパートのオバちゃん店員が二十パーセント引きのシールを貼ったばかりの唐揚げパックをすかさず手に取り苦笑した。どう見てもかっこいい実力者じゃないし、大人のドルチェもセリーヌも無縁の世界だ。
 講義を終え、教室の後片付けをし、百合子先生が明日使う撮影用食材を揃え、オフィスの掃除を済ませた頃には大分遅くなっていた。クタクタだが、クタクタなんて言っている余裕はない。混んだ電車に飛び乗り、体に鞭打ち、駅前のスーパーの総菜売り場に寄った。お米は先に帰宅している夫の建が研いでいるはずだ。手抜きだけれど今晩のおかずは、この唐揚げと昨晩の残りの茄子の煮しめ、あとはサラダにしよう。唐揚げは息子の旬の好物だし。もう一品、お味噌汁でも欲しいが、ちょっと面倒。取り敢えずトマトとレモンを買い足せば夕飯はなんとかなる。瞬時にメニューを組み立て、野菜売り場に向かう。
 どこも同じだろうが、働く主婦の日常は気取ってなんかいられない。生活臭をどっぷり引きずりながら走り続けるのみだ。一日、立ちっぱなしで腰が痛いが、夕飯を食卓に並べるまでもうひと踏ん張り。いやいや、その後、洗濯機を回さなくちゃいけないし、明日の仕事の準備もある。
 ズンと気が重くなるがそれは後で考えよう。旬のことも心配だがそれも今は考えない。すばやくトマトとレモンを籠に入れて、駆け足でレジの列に並ぶ。こんな実態を教室の優雅な生徒さん達は、想像すら出来ないに違いない。


やっかいな食卓 読者レビュー

姑と嫁が本音を語る、ご飯を語る、こんな小説は今まであった?面白い。今年の芥川賞より、面白い。会話のテンポや場の空気がリアルで、「何よ、何が言いたい!」と息子を見つめる場面なんか最高。孫の面倒をみている祖母仲間の気がかりは、第一に食。この小説は、料理の小ネタも織り交ぜながら、日常を生きる私に寄り添って、暖かい。 (60代 女性) 
仕事にやりがいをもち、思ったことをスパッと言って合理的に行動する働く主婦。でも家族や親戚のことまで自分のペースで完璧に仕切れるなんてことは逆立ちしたってあり得ないわけで、そんなときに限って仕事も壁にぶつかったり自分が体調崩したり・・・。働く女性のリアルな日々に、まるで自分事のように「あるある!」と共感してしまいます。そして本書のテーマである「食卓」をはさんで変化していくお義母さまとの関係に、ワクワクしていっきに読みました。嫁と姑、そして登場する人々がそれぞれみんな魅力的で、「美味しいごはんをみんなで食べてほっこりする」というありがちな小説ではなく、人が集まることの面白さや人生の滋味までもがぎゅぎゅっと詰まったうえに、読後感は爽快! 「やっかい」かもしれないけど、食べること生きることはこんなにも面白くて素敵、と思える作品でした。(50代 女性)
家族の出来事、彩る料理、展開も設定も面白く、ニンマリそして涙で最後まで楽しめました。 (70代 男性)
仕事にやりがいをもち、思ったことをスパッと言って合理的に行動する働く主婦。でも家族や親戚のことまで自分のペースで完璧に仕切れるなんてことは逆立ちしたってあり得ないわけで、そんなときに限って仕事も壁にぶつかったり自分が体調崩したり・・・。働く女性のリアルな日々に、まるで自分事のように「あるある!」と共感してしまいます。そして本書のテーマである「食卓」をはさんで変化していくお義母さまとの関係に、ワクワクしていっきに読みました。嫁と姑、そして登場する人々がそれぞれみんな魅力的で、「美味しいごはんをみんなで食べてほっこりする」というありがちな小説ではなく、人が集まることの面白さや人生の滋味までもがぎゅぎゅっと詰まったうえに、読後感は爽快! 「やっかい」かもしれないけど、食べること生きることはこんなにも面白くて素敵、と思える作品でした。(50代 女性)

著者プロフィール

御木本あかり

元外交官の妻として世界各国で暮らし、様々な文化や料理を学んできた著者の経験と知識が詰め込まれた傑作「食」小説。69歳と年齢を重ねてきたからこその深い洞察も、独自のスパイスとなって物語を引き立てている。

やっかいな食卓

定価 :1650円
頁数 :240ページ
発売日:2022年9月30日
イラスト:鎌田郁世