口福のレシピ
原田ひ香

昭和と令和 
隠し味がつなぐ感動の家族小説


『三千円の使いかた』
著者 最新刊

隠し味のルーツをめぐる
「食」の家族小説


留希子の実家は、江戸時代から続く老舗の料理学校「品川料理学園」。
いずれは継ぐものという周囲からの圧迫に耐えられず、大学卒業後はSEとして企業に就職した。
しかし、食べることも料理をすることももともと大好きな留希子。
SNSでレシピを発信しているうちに、料理研究家としての仕事も舞い込むようになる。
アプリ開発会社と組み、大型連休に向けた簡単でおいしい献立レシピの企画を立ち上げるが、留希子の思いと、忙しい女性たちの現状はいつの間にか乖離し、アプリ制作は難航した。

一方、昭和二年の品川料理教習所の台所では、女中奉公に来て半年のしずえが西洋野菜の白芹(セロリー)と格闘していた。どのように調理すれば美味しく食べてもらえるのか。しずえは、蕗と同じように小さく切って、少量の油で炒め、醤油と味醂、砂糖で炒りつけた。

留希子としずえ、二人をつなぐ一皿の料理の隠し味をめぐる「食」の家族小説。
巻末に、著者の原田ひ香さんと料理家・飛田和緒さんの対談を特別収録。

『一橋桐子(76)の犯罪日記』、『三千円の使いかた』が連続ドラマ化。
お金、家事、住宅、仕事……。「生活」を描き、ヒット作を連発する著者が、家庭料理の歴史に挑んだ意欲作。待望の文庫化です。

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読んだらきっと作りたくなる!
本書に登場する料理

本文より

月曜日の骨酒
 トマト、人参、セロリ……こしょう、カレールー…… 鶏肉、ソーセージ……。
 女はほとんど迷うことなく、ぽいぽいと買い物カゴの中に品物を放り込んでいく。
 その様子に一片のためらいもない。爽快、と言っていいほどだ。
 次に女は乳製品売場に向かった。
 ヨーグルト、牛乳、とろけるチーズ……乳製品多め。
 小さな子供のいる、お母さんなのかもしれない。カレールーが甘口なのもそれを裏付けている。
 跡をつけながらそこまで来て、品川留希子は女の全身を上から下までじっくりと観察した。
 かっちりしたスーツの肩に、大きめのトートバッグが食い込んでいる。どちらも高価なものだと一目でわかるし、特にバッグは高級ブランドだ。けれど、バッグは型くずれを起こすほどたっぷりと荷物が入っているし、その重みでスーツの肩のところも台無しだ。残念ながらバッグの革には細かい傷がいっぱいだった。
 おしゃれをしたいし、お金も持っているけれど、今は自分の身の回りにかまってはいられない、という風情が漂っている。
 留希子はスーパーマーケットが好きだ。疲れた日でも、「スーパーに寄って帰ろう」と考えるだけで足が軽くなる。暇な時は「今日は乾物の日!」「今日は瓶詰めの日!」とスーパーのコーナーを一つ決め、端から端までじっくりと眺める。最低でも三十分くらいはかけるだろうか。少しでも気になったものは手にとってラベルまで熟読する。新しい製品を置くようになったら、いったい、なぜそれが限られた売場の一角を占めるようになったのかを勝手に推測する。行き慣れたスーパーでも、留希子にとっては町のテーマパークだ。急いでいても、すべての棚や売場を一回りしないと気が済まない。
 同居する同い年の小井住風花はスーパーにはほとんど思い入れがない。仕事が忙しい時など、食材の調達に時間をかけるのは無駄だ、とさえ言う。
 母もそういうところがあった。あの人は料理の仕事をしているのに、びっくりするくらい、家庭で料理をしているところを見たことがない。家の料理は留希子の食事を含め、お手伝いさん任せだった。
 せっかくスーパーに来ているのに、つい母のことなど考えてしまった、と留希子は視線を前の女に戻す。
 トマトはサラダにするとして、人参はカレーに入れるのかな。だとしたら、セロリはどうするのだろう。セロリが好きな子供って少なそうなのに……。刻んでカレーに入れて煮込むのかしら。確かにおいしくなるけれど。それにしては量が多い。セロリは一本売りのものもあるのに、女は一株、丸ごと買っている。
 スーパーで自分の買い物と同じかそれ以上に好きなのが、他人のカゴの中をのぞくことだ。そして、中身であれこれ想像する。少し行儀の悪いことかもしれないけれど、ほとんど留希子の趣味だった。
 さらに女の跡を追いながら、想像をめぐらした。
 あれだけのセロリを消費するとしたら、サラダにして、カレーに入れて、シチューにも入れて、さらに佃つくだ煮に でも作らないと、とても使いきれないよね、それとも、何か他の用途があるのだろうか。朝、スムージーにして飲むとか?
 女は乳製品売場の先の、パン売場に向かった。スーパーは駅前にあり、中規模だけど少し高級な品ぞろえで、ちゃんとオリジナルのパンも置いている。
 次はぽいぽいと食パンやらロールパンやらをカゴに放り込む。
 留希子はそこで考え込んでしまう。
 あの手つきからすると、かなりの熟練ママか、もしくは、まったく料理に興味がない人か。いったい、どちらなんだろう。
 留希子が考え込んだ時、女が突然、はっと足を止めた。くるり、とこちらにきびすを返す。
 もしかして、じっと見ていたことに気づかれたのかもしれない。留希子はとっさに顔を伏せてしまった。しかし、女はそんな留希子におかまいなしで入口近くの野菜売場に戻った。セロリ、人参を棚に返し、鶏肉と乳製品を戻し、また、食料品売場に行って、ルーを戻しレトルトパックのカレーをいくつかばたばたとカゴに入れた。
 そして、さっさとレジに歩いていった。
 あとには、その後ろ姿を啞然として見つめる、留希子だけが残った。

レビュー

「ランチ酒」を読んでから、原田ひ香さんの本を読むようになりました。原田ひ香さんの本は、読み終わるといつもよりちょっと丁寧にゴハンを作りたくなります (50代 女性)
奉公の切ない時代の内容も描かれながらポークジンジャーのレシピを通して暖かいきもちになれる作品です。作品を読んだ後さっそく家でも作ってみました(30代 女性)
読み終えた後に心が温まりました (30代 女性)
奉公の切ない時代の内容も描かれながらポークジンジャーのレシピを通して暖かいきもちになれる作品です。作品を読んだ後さっそく家でも作ってみました(30代 女性)

著者紹介

原田ひ香(はらだ・ひか)

1970年神奈川県生まれ。2006年「リトルプリンセス二号」でNHK創作ラジオドラマ脚本懸賞公募の最優秀作受賞。’07年「はじまらないティータイム」ですばる文学賞を受賞。著書に『東京ロンダリング』『母親ウエスタン』『三人屋』『ラジオ・ガガガ』『ランチ酒』『三千円の使いかた』『DRY』『まずはこれ食べて』などがある。

口福のレシピ

小学館文庫
定価 :792円

頁数 :336ページ
発売日:2023/2/7
カバーイラスト/小池ふみ