「ねぇ、ぬか漬けって、食べたことある? ちょっと試食してみない?」
ティッシュで鼻をかむ音を聞きながら、私は冷蔵庫を開けた。家から持ってきたタッパー容器を取り出す。薄切りにした胡瓜のぬか漬けに楊枝を刺し、伊吹と玲音にひとつずつ差し出す。
先に反応したのは伊吹だった。
「味が戻ってる! 昨日までと、全然違うね」
「塩を足したの。ぬか床を使い続けると、野菜に塩分が吸われて、いつのまにか塩気が抜けちゃうんだ。だからときどき足し塩をして、そのぶんいつもより丁寧に掻き混ぜて、馴染ませるの。塩を足さずに置いておくと、味が落ちるだけじゃなく雑菌が繁殖して、野菜を漬けられなくなるんだ。だから少し塩辛くなるかな? と思っても、入れるときは思い切って、ドサッと入れる」
私もひと切れ口に入れる。適度な塩気と、角の取れた丸い酸味。やはり、この味だ。
「君が勇気を出して髪を切ったのも、同じだよね。思い切って今の状況を変えようとしたんだよね。だったら途中で折れちゃ駄目だよ。ちゃんと最後まで掻き混ぜて、馴染ませなきゃ。ママが泣いても、喧嘩になっても、話し合わなきゃ。烏丸のおじさんに謝りに行くのは、できればママと一緒の方がいい」
玲音は漬物を味わいながら、私の話にじっと耳を傾けていた。ラム酒抜きのモヒートを飲み干す頃には落ち着きを取り戻し、棚に並んだキープボトルを見て「大人の店なのに、学校のロッカーみたいや」と屈託のない笑顔を見せた。ウイスキーやブランデーのボトルに、手書きのネームプレートが下がっているのが珍しかったようだ。
玲音の滑らかな標準語には、ときどき島の言葉が混ざる。やはり子供は順応力が高いのだ。玲音の父はもともと島育ちだというし、玲音の母親は、どんどん変わってゆく夫と息子に寂しさを感じているのかもしれない。彼女も私と同じように、余所者としての暮らしづらさを感じているのだろうか。
「それにしても、烏丸のおっさんはさすがだね。すごく綺麗な丸坊主だもんね」
「学校でもよく、触らせてくれって言われます」
「え、そうなんだ。じゃあ私も、差し支えなかったら──」
「槇生ちゃん、差し支えるよ」
玲音の頭に手を伸ばしかけ、伊吹にたしなめられた。
店の外に出て、伊吹と二人、玲音を見送る。駆け出す背中の上で、留め金の外れたランドセルの蓋が、カタカタと揺れていた。
「槇生ちゃん、すごいね。大岡裁きだね」
「何も解決してないけどね。この前、烏丸が電話で娘さんと喧嘩をしてるのを聞いちゃってさ。親子って、そういうふうにしていかなきゃ駄目になるのかなって、思っただけ」
「玲音君の気持ち、お母さんにまっすぐ届くといいね」
「そうだね。私みたいに、捻ね じ曲がっちゃう前にね」